ーー立崎さんのご実家は、代々農業をやられてきたのでしょうか?
畑は代々引き継いできたのですが、専業としてやったり、兼業としてやったりと、その時々で形を変えながらやって来たので、代々農家っていう訳でもないんですよね。
祖父の代までは、お米を作っていればやっていけるっていう時代だったので、お米だけを作っていたのですが、親の世代からはそういう訳にもいかなくなって。父親は普通に公務員をしていましたし、母親が畑でキュウリやキャベツ、絹さやなどの野菜や花きをその時々で作って来たという感じです。
ーーおじいさんはお米の専業農家さんだったのでしょうか?
祖父は農家ではなく、米屋でした。米屋といっても精米所で働いていました。実際に農業をやっていたのは祖母ですね。
ーーということは、立崎家で農業をされてきたのは皆さん女性ということですね!
そうなりますね(笑)
ーー立崎さんは小さい頃からご実家の農業を継ごうと思われていたのでしょうか?
僕が農業をやりたいと思ったのは海外から帰ってきてからなので、小さい頃はそうした意識はなかったですね。自分自身、今も家を継ぐみたいな意識は持っていなくて、自分でやりたいからやっているというだけですね(笑)
多分そういうのが嫌で、長男とか皆外に出てっいってるんだと思うんで、自分もあまりそういう意識は持たないようにと思っています。
ーー海外では何をやられていたのでしょうか?
初めは中国で日本語の先生をやっていて。その後、マカオに行きたいと思って、現地で住みながら観光ガイドをやっていたんですよ。今の奥さんとはそのときに知り合いました。
ーー中国へ行こうと思われた理由はなぜだったのでしょうか?
実はそういう理由が全然なくて・・・。何となく自分が行きたいと思ったというか。行くんだろうなっていう予感が小学校くらいの時からあったんですよね。将来自分は中国へ行くんだろうなって(笑)
ーー全然わからないんですが、すごく面白いです(笑)
すいません、漠然としてて。最初行ったのが中国の広東省で、マカオが歩いて行ける所だったんですよね。で、一度休みのときにマカオに遊びに行ったんですけど、その時もまた、「多分そのうちここに住んでるんだろうな」って自分の中で、なんかそういう感じがあって。そしたらやっぱり3年後に、結局マカオに住むことになって(笑)
ーーなんかすごいですね(笑)逆に、そうした状況で、農業をやりたいと思われたきっかけは何だったのでしょうか?
これもまた具体的なきっかけがあったという訳ではないんですよ。第三者が聞くと、唐突な感じがするかもしれないんですけど、自分の中では、結構スムーズな流れだと思っていて。教育業、観光業、じゃあ次は農業じゃない?というような流れで(笑)
ーー何となく仰りたいことは分かるような、分からないような...(笑)中国からご帰国されようと思ったのはなぜでしょうか?
30歳を迎える前の29歳の時に「30の誕生日の時に、こっち(マカオ)でガイドをやってたら、多分自分は一生こっちで住むんだろうな」っていう風になんか唐突に思って。そのときに自分の中で出した答えが、「今年日本に帰ろう」だったんですよ。
日本に帰って何をすれば良いのかって考えたときに、「あっ」って出て来たのが農業だったんですよ。
ーー立崎さんは、御自身の直感にとても素直な方なんだと思います。中々普通のひとはそう簡単に行動に起せないですし。
どうなんでしょうか(笑)
ーーマカオと七戸町だと生活も全然別物だと思うのですが、その辺は帰国後、すんなりと適応できたものなのでしょうか?
いろんな意味で、マカオの人も田舎の人もきっちりしてないというか、おおらかな部分はお互い通じるものがあるので(笑) それほど苦労はしなかったですね。
ーー栽培に対するポリシーについて教えてください?
僕は正攻法で作ることを心掛けています。説明書通りに栽培するというか。堆肥にしろ肥料にしろ、どのくらいの面積にどれくらいの頻度で使用するというものが、メーカーや試験場で何度も試験をした上で最適な分量やタイミングが決められているので。
他の農家さんって結構自分の感覚でやる方も多くて。それはそれで、それぞれの経験からのノウハウで正しいのかもしれないんですけど、青森の気候ってすごく農業に適しているので、ふつうに作ればしっかりと良いものが出来るんですよね。
ーーなるほど。
あとは、無理をしないで、人のペースではなく、作物のペースで栽培することは心掛けていますね。なんかやっぱり皆、妙に競争意識を出して「どこどこよりも先に(種を)撒いてやる」とか、そういう変な競争があるんですが、自分はそういう事は絶対しないようにしていますね。
人のペース、周りのペースに合わせるのではなくて、天気や種の性質に人が合わせてやると失敗する確率も低くなりますし、旬の作物を作物のペースで育てるので、とても美味しい野菜ができます。その分、種のカタログとかはすごく読み込みますし、種屋さんや肥料屋さんに行ってよく話もします。
ーーこの辺り(七戸町)の天候の特徴について教えてください。
夏が短いですね。暑いなと思った日も今年は1週間くらいしかなかったような気がします。なので、虫とかもあまり出ないので、多分関東の方で使用される農薬の量を基準にすると、こちらの基準は関東の減農薬レベルということになるのではないかなぁと思います。
ーー今立崎さんのところでは、年間何品種くらいのお野菜を作られているのでしょうか?
30~40品種くらいですね。例えば、僕の場合、キャベツは季節に合わせて栽培する品種を分けています。春はふわふわの柔らかいキャベツにしたり、冬場はビシッとしまる固くて大きなキャベツにしたりといったイメージですね。
ーー農作物を販売するとすごく感じるのですが、栽培方法が発展して、品種や旬といった感覚が以前より薄れているように感じます。
そうなんですよ。品種や旬で味や栄養価って結構違うんですよね。なので、僕は販売するときには品種も必ず書いて販売しています。例えばキャベツでいうと、春は、 "富士早生(ふじわせ)" という美味しい品種があって、その次が "きよはる" という品種、7、8月が天候的にも、世間の食卓の食材的にもキャベツは殆ど作らなくて、その後に "青春二号" を植えるというように、その時期、その時期で栽培する品種も変えるようにしています。
ーー品種によって味も食感も全然異なると思うのですが、それぞれに合った食べ方もやはりあるのでしょうか?よく消費者の方から農家さんがどういう風に食べているのかを知りたいという声をよく聞くのですが、意外と農家さんに聞くと「いや、別に普通に食べてるよ」って言われることも多くて(笑)
たしかに、普通に食べますね・・・(笑) やきそばに入れたりとか。
でも、ほんとに新鮮な野菜って、手の込んだ料理をするよりは、春キャベツだったらサラダとして生で食べたり、炒めるとしても、一番良い油で、一番良い塩を使って、さっと炒めたりして食べるのが素材の味が生きて一番美味しい食べ方だと個人的には思いますね。もちろん鮮度が落ちた野菜は色々と工夫は必要になると思いますが。
実は鮮度ってかなり重要だと思っていて、どんな有名なブランド野菜でも2-3日経つとダメになっちゃうんですよね。それだったら、ブランドがなくても穫れたてのネギの方が味は全然美味しいです。それくらい鮮度は重要だと思っています。
ーー産直から鮮度が高い状態のものを郵送で取り寄せたとしても、やはり産地に来て、その場で食べる味には敵わないということですね。
そうなんですよ。もちろん産直で発送したものも十分美味しいんですけど、「穫れたての味はもっと美味しいんだよ」っていうのを一言付け加えたいところですね。ぜひ実際にうちに来て食べてもらいたいです。
ーー地域の若手の農家さんにとって、上の世代の農家さんに対してなにかやりにくいこととか不満ってあったりしますか?
なんか煽られてる感じですね(笑)
ーーすいません。別に世代間の溝を煽ろうとかそういうつもりは一切ありません(笑)
営農のスタイルは若い世代と上の世代で少しずつ変わってきていると思うのですが、普通に仲が良いですよ。僕はメインでやっているのがネギなので、地域のネギ部会というものに所属しているんですけど、周りは皆60歳とか70歳の方々です。でも関係はすごく良好です。
ーーそれは素晴らしいことですね。おそらく世間的には、上の世代の生産者さんって結構保守的で若手がその中でやるのは大変というイメージがあるように思っていたので。
僕たちの世代ってそういう意味では、器用な所があると思うんですよ。話を聞くところはしっかり聞いて、流すところは流せるし。反発とかする世代じゃないのかもしれないですね。反発していたら間違いなく地域から出て行くと思うので。
例えば、僕の兄(長男)の世代、今40歳ぐらいの人達だったら反発して出行ったりするだと思うんですけど、僕たちの世代って半分ゆとりというか、マイルド系なので(笑)
ーーそういう考え方もあるのですね。
そういう理由なのか分かりませんが、僕と同世代がこっち(地元)に戻ってきたりしているんですよね。逆に、長男世代は皆、街とか外行って帰ってこないです(笑)
ーー今同じ世代の生産者さんは何名くらいいらっしゃるのでしょうか。
この地域に5、6人はいますね。歳は皆同じくらいで、80年代以降の生まれですね。
ーー家が農家の方は、親御さんからどのように農業を受け継いでいくのでしょうか?
僕の場合は、もう畑の名義は自分にしていて、その畑については自分の判断の元でやっています。母親はトマト、父親はゴボウという風にそれぞれの責任で分けて管理して、必要な時はそれぞれで手伝うみたいなやり方をしていますね。
ーーご家族の中で役割分担をされているということですね。
家族皆が動くと意外と効率が悪いんですよ。毎回、ワイワイお祭り騒ぎになっちゃって(笑)なので、自分のやる分をやったら終しまいって感じで割り切ってやっていますね。
ーー立崎さんにとって、農業の魅力はどういうところでしょうか?
他の誰よりもおいしい物を食べてるってことですかね。
マカオに居た頃は、一応観光ガイドをやっていたので、仕事で街の高級レストランとかも行ってて、その時はもちろん料理が美味しいと思っていたんですけど、実際に農家として穫れたての野菜とかを食べると、やっぱり全然敵わないですね・・・
ーーそこは何か究極の美味しさに繋がるものがありますよね。
ーー今後、こういう風に農業をやっていきたいとか、それこそさっき伺ったように、「◯◯してるんだろうなぁ」というように立崎さんの直感のようなものはあるんでしょうか?
ありますね。
ーー聞きたいのですが、「インド行くんだろうなぁ」とか「農家やめるんだろうなぁ」とかであればちょっと寂しいですね(笑)
これは良く仲間とも話すんですけど、農業が仕事の選択肢として普通になるようになってほしいなって思ったりはしますね。農家をやっていると、なんかこう周りから「偉いね」とかって言われるんですけど、そういうのって若干悔しいところもあるんですよね。どう考えても上から言われている訳じゃないですか(笑)
「そんな仕事やってて偉いね」みたいな。周りの知人とかにも良く「馬鹿くさくなんない?」とか言われて。
意外とそういう意味では、上の世代の方の方がそういう意識を持っている人が多いような気がするんですよね、農業って、こうなんだろ、下の仕事なんだみたいな感じで...そういうこう自己卑下というか、同情されるのはホント嫌なので。
ーー農業は他の仕事と比べて尊い仕事でもなければ、卑下する仕事でもない仕事ということですね。
そうです。僕も自分で(農業が)やりたいからやっているのであって、そういう意味では、跡を継ぐとかそうした意識も持ちたくないんですよ。それだと何となく、都会へ行ってダメで帰ってきたから仕方なく家の農業やっているんでしょ?ってイメージになっちゃうんですけど、そうじゃない。それにそうした考え方ってやっぱり都会が一番っていう前提があって、そこもちょっと違うのかなと。
ーー農業という仕事をカッコ良くしたいということですね!
そうですね。野球選手に憧れるような感じで(笑)
僕は農業ってもっとプロフェッショナルなものだと思っているので。そういう意味で、農家体験とかもそれはそれで楽しいんですけど、やっぱり実際の農業とは違っている部分もあるんですよね。一年を通して栽培をして、しっかりと生活出来る分を販売して、そういう事すべての流れが農業であって、もちろんひとつひとつの農作業は楽しいんですけど、それらは農業という仕事のほんの一部にしか過ぎないので。
ーー農業体験は農業の一番楽しい部分だけを短い時間で体験するというものであって、農業という仕事はもっとプロフェッショナルで厳しい世界ということはよく分かります。
例えば台風とかで農作物が全てダメになったとしても、補償してもらえる金額って種代とかそういうレベルなんですよ。自分が働いた分とかは全部パァになるわけなんですよね。それが農業のリアルだと思います。
ーー今、IターンとかJターンとかで地元に戻って農業をやる人も増えてきていますね。
個人的にはすごく良いことだと思っています。これはざっくりと勝手に自分で考えていることなんですけど、東京の方とかで就職説明会とかあるじゃないですか。そこに七戸町として出て、「就職前に1年ぐらい農業やってみませんか?」みたいな感じで参加できないかなと思っています。
もしくは、たくさんの人が、会社に就職して3年くらい経ったら、1回は自分のキャリアについて悩むじゃないですか。そのときに、「1年ぐらいこっち来て農業やってからまた戻ったらどうですか?」みたいにプレゼンを転職説明会でしたりしたらどうかなと思っていて。
200~300人規模で聞いてる人がいれば、ひとり、ふたりくらいは興味を持ってくれそうな気がしているんですよね。
まぁ何が言いたいかというと、会社とかではなくて、町全体でそういう風に、来たい時にいつでも来れますよ、みたいな雰囲気があってもいいのかなぁと個人的に思っていて。